| AIR COMBAT体験記
自分で操縦桿を握って空中戦をしませんか?
私の子どものころ、第一次大戦の空のエースの物語を読んだことがある。なかでもレッドバロンと呼ばれた リヒトホ―フェン男爵の80回にわたる空戦に打ち勝ちながらも、ついに自らも空戦の犠牲者となって壮烈な戦死を遂げた事などを覚えているのは、当時よほど印象が強かったからであろうか。ところでこのような空中でのドックファイテングを私自身が経験することになろうとは想像もしなかったが、その機会がついにやってきたのである。
IAHの北西約15マイルほどのHooks Airportとよばれる小さな飛行場にその会社Texas
Air Acesがあり、その事業の一部として、ここでは2機のT34練習機を使って実際の空中戦を経験させてくれるのである。このAir
Combatのためのインストラクターとして20数名のパイロットが登録されているが、そのすべてが朝鮮戦争や湾岸戦争の経験者であり、現在も本職のパイロットとして働いている人たちである。
8月某日午後一時のアポを取り付け、約15分まえに飛行場に赴いた。約2時間に渡るブリーフィングがあり、本日の1時間30分にわたる模擬空戦の詳細について説明される。若いころに若干グライダーの訓練を受けた経験はあるが飛行機の操縦など今までしたこともないので、空戦の大部分を私自身操縦竿を握って操縦するとのことで緊張感が体内を駆け巡った。
飛行服に着替えヘッドセットをつけ操縦席にバックルインされると、動悸が高まってくるのが痛いほど意識される。滑走路に並び編隊飛行で離陸、ウイングマンの位置を占める
(ただしこの間はすべてインストラクターが操縦竿を握っている)。高度3000メートルに達したとき私の操縦で編隊飛行を続けるように指示がでた。付き過ぎず、離れ過ぎず,高過ぎず、低すぎず、操縦竿を握る手のひらに汗がにじみ、先導機を見詰める目が星になる。
約15分でドックファイテングの訓練の場所に到着、先導機(今や敵機である)が離れてゆき旋回を始める。インストラクターがすかさず追尾を始め、絶好の射程距離に我が機を導く。目標指示のレンジファインダーの円内に敵機が
入り込む。すかさずトリガーを引くと敵機から白い煙が吹き出す。まるでビデオゲームの世界である。次に私自身の操縦での空戦、なかなか敵機がレンジファインダーの円内に入ってこない。繰り返すうちに2機、3機、4機と撃墜した。
いよいよ最後はYO-YO TURN (インメルマンTURNともいう)の荒業である。これは敵機の後方につくために急上昇し反転しながらの急旋回をする基本的な空戦のテクニックである。まずインストラクターが模範をしめす。急激な引き起こし、突然体がシートにめり込むような感覚と共に頭の中が真っ白になった。教えられたようにウンと腹に力をいれると白い雲が目に入ってきた。
ちょっと頭をあげると何と森や川、家並みが頭上に見える。奈落の底に落ち込むような横滑り、突然地平線が回転し、上下が元にに戻ったその瞬間すでに敵機はレンジファインダーの中心に居た。射撃、白煙、今やリヒトホーフェンであるかのような気持ちである。二回インストラクターが模範をしめしてからいよいよ小生の出番である。曲がりなりに三度YO-YO
TURNを繰り返した時にはすべての気力がつき果てた。休憩後さらにあと三回のYO-YO TURNを続けるというのを断って,基地に帰投。30分のビデオでのレビユーで最大加速度が3Gに達したと聞かされリヒトホーフェンへの道もなかなか大変であると感じた。
ちなみに私は大正15年生まれ、今年76歳の青年である。
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